ルーム

久しぶりに発熱して

仕事を早退しました。

一日中寝たので少し復活した映画が

「ルーム」です。

5年間監禁された親子の物語ですが、

ただ暗いだけの映画かと思いましたが

予想以上に心に残りました。

暗く残ったわけでもなく

かといって明るい未来が開けているわけでもなく

自分の人生を考え直すことができた名作でした。

ただ、ただ男の子がいじらしい。

苦手なこと

経済界のことが苦手です。株が上がり下がり,円高円安,だからどうなるのか,まったく理解できません。自分の頭がよくないことが露呈されます。だから今まで逃げてばかり来ました。しかし,自分の苦手なことに挑戦することは必要なことです。

 

「マネーショート 華麗なる大逆転」は,リーマンショックを扱った実話なのですが,何度も巻き戻して(DVDなのに)観ていますがチンプンカンプンです。

そういう分野は,深くわからなくてもざっと理解できればいいのでしょう。少しずつトライしていきたいと思います。

ストーリーを取り入れる

学校は様々なことを教えるところです。しかも予測不可能な人間を相手にしています。だから面白くもあるし,難しくもあります。

研究授業など見せる授業は,流れを色々考えて時には効率よく,また時にはじっくりと考えさせて進めますが,実際毎回そんなことをしていたら,しなければいけない内容を教えていくのにとても時間が足りません。理不尽だけどしないといけないからする!ということで,日々授業をしていることが多いのが現実です。しかし理想を言えば,どんな教科でも学習をすることの意義を伝えてから行っていくべきだと思っています。その教え方は色々ですが,ただ押し付けるのではなく,授業や指導内容はいつもストーリーがあるべきだと思うのです。もしくは理由付けとも言いまかね。それがあれば,子どもたちの多くは納得し,また習得率も高くなるのではないでしょうか。

ただし,そのストーリーは短く的を射て!実はこれが意外と難関です。

爪痕

人間というものは哀しい生き物です。長年勤めていた職場にあと数年で別れを告げようとするとき,何かしら自分がそこにいた証を残したくなるのでしょう。色々なことを試みます。しかしほとんどが残念ながら効果のない空振り状態になっています。誰もがその行いを笑えません。爪痕を残す行為は人間が本来もっている本能的なものだと思います。

そこで,自分なりに爪痕について考えてみました。そしてこの爪痕は,人生の終幕にもつながるとこだと思っています。

本来「爪痕を残す」とは,悪い意味で使われます。災害で多大な被害があったとき,例えば「台風の爪痕が残っています。」とニュースなどで言われています。しかし転じて,何か功績を為し自分の存在を残すことを言うようになっているようです。

 

あと数年で退職という時になって,多くの人が急に後輩たちに何かを伝えようとします。

何かを伝えようとすること自体は,悪いことではないと思います。しかし,肝に銘じておかなければならないのは,あくまで誰か(後輩たち)のためでなく,自分のために行うことであること。人間は,結局自分が一番認められたいのです。そうでないと,人類はここまで続かなかったかもしれません。しかし,それぞれ自分が一番大事なのですから,うまくいきません。

何かを伝えようとしてもいいけど,必要以上に精神論をぶって自分に酔わないことが大事かと思います。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ!」ダグラス・マッカーサー

アクティブr-ニング

2020年から順次始まる新学習指導要領の概要を示した中央教育審議会の「審議まとめ案」が公表されたようです。

それに伴って,「アクティブラーニング」という言葉が現場では,盛んにつかわれ始めています。

「アクティブラーニング」とは,いったい何でしょうか?

アクティブという言葉はよく使います。お休みの日にじっとしることができなくてあちらこちらとお出かけしていると「アクティブだね~」などと言われることがあります。

AL(アクティブラーニングの略)は,指導・学習方法のひとつです。

例として挙げられているのが,グループディスカッション,ディベート,グループワークなどです。それだけではないようですが・・・。

とても理想的な方法だと思います。しかし,一方で子どもの基礎的な力をつける時間が確保できるのか少し心配しています。ディスカッションなどは,もちろんディベートもですが,知識や語彙が豊富で,しかも人に自分の意見を堂々と述べることが出来る人が有利です。ゆえに心理的に安定していることも条件の一つでしょう。そういったことを踏まえてはじめて成立するのだと思います。

私の解釈が正しいとは限りませんが,話し合い活動で,友だちの意見を聞いて「なるほど、そういう意見もあるのだな。」と思うこともあれば「いやいや、それは私の意見と違う。」ということもあります。時には的外れなことを思ったりもします。いずれにしても自分の意見を友だちの前で言うのは勇気がいります。反対意見を言ったら仲間はずれにされないかなとかあの人に賛成意見を言ったら仲の悪い人がどう思うかなと考えるでしょう。子どもの世界だって,大人と同じなのです。

ALの意義も主旨も理解できるのですが,そのことがクローズアップされ過ぎて漢字・計算の練習をはじめ基礎的な学習の時間の確保ができないのであれば本末転倒,低学力に拍車がかかります。

そしてALなどと今更言われなくても,教師はずっとその方法を使っています。前にブログにかかせていただいた「引き出し」のひとつです。

文字も定着し,語彙を豊富に使うことができるようになり,自分の意見をもつようになって,その意見を言うことができる雰囲気ができたら,先生の判断でこの子たちに「ディスカッション」をさせてみようというような現場の決定権があくまで優先されるべきだと思います。特に私は小学校に勤めているからそう思うのかもしれません。

目の前の子どもたちの事を考えて,時にはALも使いながら現場の教師は日々教育して欲しいと思います。

苦労は平等

どの仕事をしても色々な苦労があるでしょう。時には大失敗をして土下座ぐらいはしないといけないこともあると思います。

しかし苦労は,トータルで平等ではないだろうかと思っています。中には羨ましいと思えるような順風満帆に見える人も実は心の闇をかかえているかもしれません。「若いときの苦労は買ってでもしろ」とよく言いますが,そうとも言い切れないというのが持論です。

若いときに苦労する人もいるし,年齢を重ねてから苦労する場合もあります。確かにある程度年をとってからの苦労はきついのかもしれません。でも仕方ないのです。その時その時を一生懸命生きていたら,苦労は勝手にするものなのです。苦労はしようとしてするものではありません。そして人によって違います。いつするか,どういう形でするか,いずれにしても苦労はします。そして苦労が一度に押し寄せてきたらつぶれてしまう場合もあります。そうならないように事前に備えておきたいですが,備えてもだめな時はだめです。

教師という仕事も他の仕事と同様に,ぎりぎりの線を探る匠な仕事だと思っています。押しが強すぎてもだめだし,弱すぎてもだめです。去年と同じやり方でもだめだし,人の真似でもだめです。自分なりの方法で子どもを見ながら,探って試して進んでいく。そしてやはりだめな時はだめなのです。最後まであきらめたくない気持ちはありますが,あきらめることも大事です。その時は人に助けてもらいながら進んでいく。そしてまた次は誰かを助ける、そうやって教師を続けていくことが大事だと思います。そうすれば,自分一人でやっているなどと傲慢なことは思えません。みんなで力を合わせてやっているのです。それが分からない人は一番教師の資格がないと思っています。

中には天才肌で,イチロー選手のように生まれながらにしてその道のオーソリティといったセンスを持った人もいるでしょうが,そういう人こそ努力を怠っていません。そしてそんな人はめったにいません。凡人の人間が自分なりに努力をして毎日を送っていき,苦労に苦労を重ねて本物の教師に近づいていくのです。

たくさんの引き出しをもとう!

特別支援の教師にとって一番何が必要かと問われることがよくあります。

まず,子どもの実態をよく見ること、「実態把握」それが一番だと思います。

そしてその次にその実態にいかに合う方法で,実行できるかということです。実態把握までは,割とみなさんよくおっしゃるのですが,課題に向けた方法については言及されないことが多いです。なぜなら個々によって違うからです。

実際には,自分のもっている引き出しの多さが活かされます。

今回はそのたくさんの引き出しについてお話しましょう。

引き出しというのはアイディアと対応力ですね。

たとえば突然にパニックになって大声を出し始めた子どもがいるとします。その時どうしますか。

多分まずはパニックを治めるために声をかけるでしょう。いきなり変わったアイディアを出す必要はありません。「落ち着こう。」とか「深呼吸してみよう。」とかですね。そして「ちょっと向うに行こうか。」と声をかけてあげたらいいですね。

それでも無理なら,他の子どもたちを外に出させて一人にして話しかける,子どもの興味の持ちそうなものを出したり,違う話をしたりします。どんなに子どもがパニックになっていても落ち着いて話すことが大事だと思います。

しかし,時と場合によれば,多分レアなケースですが,こちらも大声を出して対応することで効果があることもあります。先生がパニックになっているように見えるので自分が落ち着いてくるわけです。「先生,大丈夫かな?」と心配してくるわけです。いつも教師が正当な姿を見せることは大事ですが,それもやすみやすみにしていないと子どもも息がつまります。教師というのは本当に自分の持ち札つまり「引き出し」が多いということが大事です。そしてその場に応じてどれだけの種類の方法が出せるかということです。アイディアだけもっていても使えないかもしれません。そのアイディアは経験や学習(講演会,本)で培われていくものです。よく勘違いされるのは,本で読んだからといって,唐突に試してみる方がおられます。絶対してはいけないということはありませんが,実験される子どもはたまったものではありません。

子どもの事を考えて実行し,失敗も経験して,それをばねにしていける教師は,それだけ強いです。真剣に向き合っていくのなら,たとえうまくいかなくてもその体験は活かされていきます。

本当に必要な時に使えればちょうどいいということです。それ以上でもそれ以下でもありません。

引き出しの多さと実践力が大切です。

固定観念でこりかたまっていたらうまくいきません。

そしてある程度その方法をためしてみて効果がないときは思い切って方向転換する柔軟な姿勢も大事です。

 

アサーション

先輩から聞いていた言葉だったが

今一つぴんとこなかった。

今日何気なく読んでいた雑誌に詳しく書かれていて

アサーションとは,

『「自分や他者の欲求・感情・権利を必要以上に阻止することなく

自己ひょうげんすること」

言い換えれば,相手を立てつつ自己表現することを意味する』

と書かれていた。

これは,かなり難しい。

すべての人がこれをマスターしたら

平和な世の中がやってくるだろう。

 

自己中心的な考え方は悪くないと自分では思う。

人類は自己中をしながら発展してきたのである。

しかし,相手を立てるということが自分にとって

有益であることに気づいていない人が多い。

他人の不幸は蜜の味と良く言うが

他人の不幸がまわりまわって結局自分にかえってくることが

しばしばある。

ゆえに自分の事を深く考える人は,

人にも優しくできるのである。

そんなふうに考えていくと

アサーションも納得できるのだが,

間違っているだろうか。

参考文献:「授業力&学級統率力2015年1月号,明治図書」

ルーチンワーク

2015年が始まって3週間以上が経ちました。

今年もよろしくお願い致します。

お正月気分もさすがに残っていない,今日この頃ですが

年頭に立てた計画も既に頓挫してしまっているのは,

毎年同じです。

 

私は,5年ほど前から「ルーチンワーク」を

意識的に行っています。

自分のことを実態把握すると

持続力がなく,すぐ飽きてしまうのですが

一方,はまるとしつこいほど突き詰めてしまうタイプということになります。

そこで,得意なこと,苦手なことを織り交ぜて

ルーチンの課題にいれて,

それを淡々と毎日こななしていきます。

なかなか効果的だと自分では思っているのですが,

その方法については後日少しずつ述べさせてくださいね。

寒さが厳しい折,何とか元気に過ごしていきましょう。

オーバーワーク

2週連続で発熱しました。

かなり遅くまでなんやかんやごたごたがあり

帰ってからもそれを引きずっていたら

眠れなくなり

そして結果発熱です。

何年しても動じない心を持てませんね。

忙しいのはある程度仕方がないかもしれませんが

それでも病気になる前になんとか手を打たなくてはいけません。

なかなかこの性格直せないのですが

色々努力しましょう。

身体を壊しては何もなりません。